四川大地震現地体験報告

宮崎眞一(非会員)

四川大地震を成都で体験したので報告します。
私は日本地熱学会会員で地熱地質が専門です。今、四川大学に語学留学しています。

(1) 地震の時の様子 

地震の時、私は成都の市街地にある四川大学で授業中でしたが、先生の一声でみな4階の教室から急いで下の緑地に降りました。校舎の外壁が少しはがれて落ちてきて緊迫しましたが、皆無事に外に出ました。震度は3から4未満程度で、日本でならあわてて外に飛び出すほどではなかったように思います。揺れ方はドンドン、ガンガンというものではなく、ユラリユラリと2分間くらいかなり長く続いたようです。
中国人や外国人は皆恐怖に怯えていましたが、日本人のみが平静でした。


(2) 成都市街地の被害

成都市街地の被害はほとんどありません。建物の倒壊もなく、人的被害もほとんどありません。中国のビルは鉄筋コンクリートの柱と床に、レンガを積んで壁を作っています。最近の超高層ビルもそうです。しかし倒壊したビルはありませんし、レンガも崩れていません。街のレンガ塀も倒れていません。私の校舎の外壁が少しはがれ落ちたのは、本来2棟の独立した建物のつなぎ目に塗ったモルタルがはがれ落ちたものです。市街地には老朽化した木造やレンガ積み家屋も多く、少しの風でも倒れそうなイメージですが、これもほとんど無事で、屋根瓦も落ちていません。成都市街地は震源地から70〜80kmしか離れていませんが、被害のなさは不思議なくらいです。地震の翌日からも成都市街地では食べ物、飲み物などはほぼ平常通りに売っていました。
なお、一点注意が必要なのは行政区画の呼び方です。「成都市」という呼び名には2つのランクがあります。市街地の区部だけを指す場合と、行政単位の成都市です。東京都の23区部と三多摩を含めた東京都に相当します。混乱するのは、地震の被害の大きい都江堰市や彭州市は成都市の一部分だということです。東京都に青梅市が含まれるのと同じで、成都市に都江堰市や彭州市が含まれます。しかし通常成都市と言うと、成都市街地の区部を指すことが多いようです。報道や統計を読む場合は注意が必要です。

(3) 成都市街地内の様子と人々の反応

地震の日は多くの人は野外で夜を明かしたようです。翌日からは緑地などにはテントが増えてきました。しかし3日目頃からは市街地はほぼ平静に戻りました。一部の人たちは余震を恐れてテントなど野外で寝ていました。
成都の人々はこんな地震は初めての体験ということで、相当に動揺しているようです。欧米やアジア、アフリカから来ている留学生もほとんどがショックを受けて夜も寝られないと言っています。夜も平気で寝ているのは日本人くらいです。

このことは世界各地での地震の報道を日本人の感覚で聞いては、「地質現象」としては正しくても、「社会現象」としては誤りが多いだろうと感じます。逆に日本人は地震に慣れている上に日本の建築物の強さにも慣れているので、外国の建築物の弱さを忘れて油断してしまいます。注意を要する点です。 
地震からちょうど1週間目の19日の夜に「マグニチュード6から7の余震に注意」という余震の注意報が四川省地震局から出されました。これで成都市街地は大混乱になりました。緑地を求めて逃げる人、車で逃げる人などで深夜を越えても騒いでいました。翌日からは緑地でのテントやビニールシートの仮設テントがそれまでの4〜5倍に増えました。地震局の説明では、被害の激しい山岳地帯では二次災害が心配されるので、注意喚起したとのことです。この大混乱も翌日には収まってきたようですが、精神的動揺は高まっているようです。
中国の一般の人たちは「マグニチュード」と「震度」の区別を知らないようで、これも混乱の原因です。なお、中国の震度の数字は日本の震度の数字とは異なります。 

私は成都市街地にはおりますが、激しい被災地は見ていませんし地震そのもののデータもありません。感想程度の報告です。ただ日本の友人達からの連絡を聞くと、日本では成都市街地も大被害を受けているように受け取られているようですが、それは誤解です。これは報道の問題だと思います。