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| 一般社団法人日本地質学会 会長 山路 敦 ![]() |
あけましておめでとうございます.会員の皆様にとって今年が実り豊かな年になることを祈念します.ところで,昨秋ノーベル賞を日本人研究者お二方が受賞されたことは,わが国の学術にとって大変喜ばしいことでした.このニュースを耳にし,研究路線の選び方に思いを巡らせました.
人がやらないことを研究すべし,という声をしばしば耳にします.しかし,研究テーマは文字通り無数にあります.その多くは影響力の小さいものですが,何年も経たって重要性が誰の目にもはっきりするものもあります.研究者がそうした路線を見定め,それに自己を投入しようと決断をするには,知識だけでなく勇気あるいは無謀さが要る.将来有望とわかっていれば放ってはおかれないわけで,将来伸びるかわからないプロジェクトに自己を投入するには,やはり暗闇のなかでジャンプする必要があります.
これに対して,現に流行しているか流行し始めたテーマではどうでしょう.それが重要であると多くの研究者が認識するから流行しているわけで,流行に乗れば自己の研究の重要性を説明しやすいという,研究者にとってのメリットがあります.しかし世界的な流行では競争が激しく,大きな成果を上げるのは大変です.それができたらやはり優れた研究に違いありません.世界的流行を作り出せたらもっと素晴らしい.
将来性のある研究は素晴らしいという主張は循環論じみていますが,大きな研究路線を終わらせた素晴らしい研究もあります.数学基礎論分野の不完全性定理です.クルト・ゲーデルが1931年に証明したこの定理は,直接的にはダヴィッド・ヒルベルトが提示した10年来の課題に否定的に終止符をうつものでしたが,19世紀末からの流行路線を追求した到達点でした.一つの研究路線はいずれ先細りになる.計算機科学などへの翻案はあるものの,不完全性定理には一世紀近くたってもポジティブな応用がないようです.いわば研究路線の将来を否定したものなのです.
路線の重要性とは別の観点とは別に,いわば輸入業という研究者の生き方があります.それはすなわち,他分野の方法や考え方の自分野への導入です.輸入自体は簡単です.しかし他分野の方法や考え方も無数にある.売れる商品を見つけるには,自分野で何が重要で,どこでそれが行き詰まっているか,つまり自分のマーケットを理解する必要があります.輸入しただけでは他人は使ってくれません.輸入によって自分野がいかに進んだかを示すことまでが必須で,それを自分野の研究者達が認め使ってくれることで,初めて輸入は成功したといえます.はじめはニッチ市場でも,ものによっては大きな研究テーマあるいは研究分野に育つものもあるでしょう.
その最大級の例として,連続体力学の地質学への導入があります.定性的議論で水掛け論に終わったことでも,今では定量的な議論で見事な議論を展開することができます.そうした導入の先駆者は,19世紀半ばのウィリアム・ホプキンスという興味深い人です.チャールズ・ダーウィンと同じく地質学の指導をケンブリッジ大学でアダム・セジウィックから受けた人で,トリニティ・カレッジのフェローだったとのこと.同大学の学部の数学試験で,最上位の成績をおさめた学生はラングラーとよばれます.ホプキンスが個人指導した学生から多くのラングラーが生まれたことでも彼は有名です.そのなかには,のちの数学者A.ケイリーや物理学者のG.G.ストークス,J.C.マクスウェル,ケルビン卿がいます.しかしホプキンスの路線で成功例が出始めたのは20世紀になってからです.京都大学の槙山次郎先生は日本におけるこの路線の先駆者で,1944年以来たびたび教科書を執筆されました.また,構造地質部会の源流の一つである構造地質研究会は,この路線の推進を期して1966年に設立されたのでした.その時の熱気は,同部会のホームページからたどり着ける研究会誌第1号にみることができます.
ところで,文科系の学生をおもな対象とする講義を担当して改めて思うのは,地質学の社会的威信の多くが応用面によることです.アカデミアでの研究動向がどうであれ,文字通り社会の基盤である地球の表面と浅部の様子や現象を探ったり予測をしたりすることは,地質学に期待される永遠の課題です.また,国土の開発や保全に役立つ地域地質の情報を提供することも,地質学にとって大切な任務です.応用面で貢献する路線にも敬意を払いたいと思います.
研究路線が成功するかとは別に,研究を自分で楽しむための観点を一つ紹介します.私は,エルンスト・カントロヴィッチの『王の二つの身体』のような,知的アクロバットにあこがれます.彼はこの本で,古代のアウグスティヌスの神学から西欧中世の王権思想が出てきたことを論証してみせたのです.また,本学会もその一つである「法人」の概念が,宗教会議での必要性から出てきたことも論じています.物事のあいだに意外な関係を発見し,それを予想外の議論で示せたら痛快です.この観点で楽しむことができた私自身の研究はほとんどないのですが.
さて,最後に本会の運営について.現執行部は,シニア会員への施策に重点を置いています.若手に対してはこれまでいろいろと施策がたてられてきたものの,人数において本会の大きな部分を占めるシニア層に対してはほとんど手付かずだったからです.今後も会員各層への施策の一環として進めていただければと思います.
もちろん諸問題の最大の原因は,人口減からの必然的な会員数の長期的減少です.住民が少なくなるにつれ,水路の清掃など村の公共の仕事に出ることが多くなるのと同じで,会員の皆様には学会運営にも積極的にかかわっていただく必要がでてくると思います.そのかかわりを通じて,学問のあり方や学問のための組織をより深く知ることにもなるでしょう.皆様の本務も多忙になっていることと思いますが,学会運営へのお力添えもよろしくお願いします.
2026年1月
一般社団法人日本地質学会
会長 山路 敦