東日本大震災で被災した南三陸地域の自然史標本と「歌津魚竜館化石標本レスキュー事業」

東北大学総合学術博物館 永広昌之・佐々木 理・根本 潤・鹿納晴尚
(News誌2012年3月号掲載)

1.はじめに

図1 南三陸地域の津波被災博物館等施設(自然史資料標本を所蔵・展示していたもの)位置図(国土地理院「10 万分の1 浸水範囲概況図:2011 年4月18 日」に加筆).

2011年3月の東北地方太平洋沖地震とそれによって引き起こされた大津波は東日本の太平洋岸地域に大きな被害(東日本大震災)をもたらした.東日本大震災では多くの博物館等も被災したが,とくに三陸海岸沿いでは津波による被害が大きく,地質標本を含む多くの資料標本が破損し,流失した.地質標本は地球史を考える上で欠くことのできない重要な歴史資料であり,現在の研究・教育に活用するとともに将来に安全に引き継がれなければならないものである.東北大学総合学術博物館では,地質学会の東日本大震災対応作業部会報告書に係る研究・調査・事業プランとして「歌津魚竜館化石標本レスキュー事業」を申請し採択された.この事業では,宮城県南三陸町の「歌津魚竜館」からレスキューされた資料標本を安全に保管・継承し,展示等に活用するために,標本の洗浄・消毒および修復などの作業を行ったが,ここでは南三陸地域の博物館等の被災状況・レスキュー活動について簡単に報告した上で,本事業について紹介する.

2.南三陸地域の自然史標本を収蔵する博物館等の被災状況

宮城県南三陸地域には,気仙沼市の岩井崎プロムナードセンター,南三陸町の歌津魚竜館,石巻市の雄勝公民館,女川町のマリンパル女川,石巻市鮎川のおしかホエールランドおよび鯨類研究所鮎川実験所などの自然史標本収蔵・展示施設があり,津波により被災した.これらの館の被災状況調査・資料標本レスキュー作業はライフラインの回復を待って4月以降に行われた.宮城県に自然史分野を扱う博物館はなかったので,東北大学総合学術博物館は文化庁文化財レスキュー宮城の自然史標本担当となり,文化庁・県文化財保護課などと協力して,レスキュー活動に参加した.歌津魚竜館については次章で述べることとし,ここでは,その他の各館に収蔵・展示されていた主として化石・鉱物・岩石等の地質分野の標本類のレスキュー作業の概要について紹介する.

図2 南三陸町管の浜の津波被災状況.左奥は水産振興センター(2 階が魚竜展示室:その左側道路下にクダノハマギョリュウ現地保存の建物がある).中央は漁協の建物で,屋上に数台の車が載っている.

岩井崎プロムナードセンター

岩井崎プロムナードセンターは,気仙沼湾入り口の,中部ペルム系岩井崎石灰岩がつくる半島の基部にある.一部3階建ての建物の3階床上まで水没し,建物骨組みはかろうじて残ったが,壁や内部はほぼ完全に破壊され,標本類の多くは見つけ出すことができなかった.同センターには地元気仙沼のペルム紀化石標本や岩井崎石灰岩の岩石標本・薄片を中心に多数の地質標本があったが,5月21日の調査で回収されたのは腕足類など10点のみであった.回収された標本は,同定後気仙沼市に返却された.

雄勝公民館

雄勝公民館は,雄勝湾の細奥部から200mほど内陸に入った河川沿いの低地にあり,2階建ての建物全体が水没し,壊滅的な被害を受け,屋上には流された観光バスが残置している.2階に展示室があり,雄勝地域で発掘されたウタツギョリュウ(レプリカ)標本等が展示されていたが(その展示物の詳細は不明),5月18日の調査の際にはウミユリ石灰岩の標本1点のみが確認された.

マリンパル女川

マリンパル女川は牡鹿半島基部東側の女川湾に面した女川漁港の海岸から数10mの位置にある.道路をはさんで建つ水産観光センターと水産物流通センターからなり,前者に各種の展示があり,1階にこの地域に関連する化石展示コーナーが東北大学総合学術博物館の協力のもと設置されていた.この地域は地盤沈下が著しく,満潮時には2つの建物の間の道路に海水が入り込んでくる.マリンパルは建物の3階屋上まで冠水し,展示室の内部はほぼ完全に破壊された.しかし,5月18日の調査で,土砂の流入があり,重油にまみれてはいたが,化石展示ケースの破損は軽微であることが確認され,6月21日に44点の化石標本すべてが回収された.化石標本は東北大学への搬入後,合成洗剤等で洗浄したが,異臭が残り,今後の処置を検討中である.

おしかホエールランド

おしかホエールランドは,牡鹿半島先端に近い半島南西部の鮎川漁港に面した低地にある.2階建の施設2階床上まで浸水,1階展示室には多量の瓦礫が流入堆積した.1階展示室には多数の液浸標本が展示されていたが,2体を残し流失した.2階天井から吊下げられていた鯨骨格標本は肋骨の先端まで浸水したが,流失を免れた.また,2階展示室の標本類は津波による被害は受けなかった.2階展示室の標本は,仙台市科学館へ搬入され,保管されている.1階展示室の液浸標本は国立科学博物館に移送された.また,骨格標本は,現在2階展示室で保管しているが,今後西尾製作所(京都市)に移送し,洗浄保存処理等を行う予定である.

鯨類研究所鮎川実験所

鯨類研究所鮎川実験所(旧ホエールランド)は鮎川港にあり,平屋建の建物は完全に水没した.保管されていた冷凍標本はすべて損壊し,骨格標本は散乱した.骨格標本はおしかホエールランド2階展示室へ搬入され,西尾製作所(京都)への移送が計画されている.

図3 魚竜館(水産振興センター2 階)の被災状況.左側壁の大型標本はベザーノ産三畳紀魚竜化石(レプリカ),右奥の壁の標本はドイツ産ジュラ紀魚竜標本. 図4 魚竜館から回収された魚竜等の化石標本類

3.南三陸町歌津魚竜館と魚竜館標本レスキュー事業

歌津魚竜館

南三陸町は旧歌津町と旧志津川町が合併したもので,魚竜館は歌津地区の管の浜に位置している.南三陸町には,中部ペルム系からジュラ系が広く分布している.1970年に,歌津地域のペルム系−三畳系境界部付近の地質調査を行っていた,ペルム・三畳系ワーキンググループは歌津館崎西海岸に分布する下部三畳系大沢層から脊椎動物化石を発見した.この化石の調査・発掘・同定の作業は地元東北大学の理学部地質学古生物学教室に任され,同年冬に現地調査と発掘作業が行われた.発掘作業では館崎西岸や岸からやや離れた沖合の岩礁など,大沢層のいくつかの層準から標本10個体が採集された.これらはクリーニングののち,気仙沼市(旧本吉町)大沢の大沢層模式地から採集された3個体をあわせて研究され,世界最古の新種の魚竜,Utatsusaurus hataii Shikama, Kamei and Murata(和名:ウタツギョリュウ)として1978年に公表された.館崎の魚竜産地および魚竜標本(歌津町教育委員会所蔵標本)は1973年に国の天然記念物指定を受けている.ホロタイプは東北大学総合学術博物館に所蔵・展示されている.ウタツギョリュウ化石は南三陸町・気仙沼市以外でも,登米市(旧登米町,旧津山町),石巻市(旧雄勝町),女川町など各地の大沢層から発見されている.

図5 搬出をまつドイツ産魚竜標本(鉄製フレームが海水で腐蝕し,さびている). 図6 クレーンによる大型標本の搬出(奥の建物がクダノハマギョリュウ現地保存の建物).

1985年には,歌津町管の浜の海岸で町職員によって魚竜化石が発見された.この産地の地層は当初大沢層と考えられ,標本もウタツギョリュウとされていたが,その後産出層準は上位の中部三畳系伊里前層最下部であり,種も異なることがわかった.この標本は産出地点の地名をとって,クダノハマギョリュウと呼ばれている.

このような相次ぐ魚竜化石の発見を受けて,1990 年,歌津管の浜魚港の一角に町おこしの拠点として,「魚竜館」が建設された.展示施設としての「魚竜館」は,水産振興センター2 階展示室とセンター裏のクダノハマギョリュウを現地保存している魚竜館(狭義)からなる.また,歌津町は,1999 年三畳紀魚竜ベザーノサウルスの産地として有名なイタリア北部の町ベザーノと友好都市条約を結ぶとともに,魚竜館を会場とする国際魚竜化石サミットを開催した.これらの活動を通じて,魚竜館は,寄贈・購入等で受け入れた多くの魚竜標本を所蔵・展示する「魚竜博物館」へと発展した.最近では水産振興センター1階の物産館・レストランとあわせ,年間6万人を超える来館者を受け入れていた.

なお,旧志津川町では,1952年,佐藤 正氏によって細浦湾東岸に分布する下部〜中部ジュラ系細浦層から魚竜化石(ホソウラギョリュウ)が発見されている.これがわが国における最初の魚竜化石の発見であったが,当時は魚竜研究が進んでおらず,この化石が魚竜であることは1990年代に入るまで明らかにはされなかった.わが国から知れれている魚竜化石は南三陸地域のこれら3種だけである.

図7 ドイツ産魚竜標本の修復作業.右:劣化したボード殻の切り取り,左:新たなボードへの貼り付け.((株)トゥーポイント提供)

魚竜館標本レスキュー作業

魚竜館は,伊里前湾北東奥の元の海岸に露出していた露頭を覆う露頭保存施設(狭義の魚竜館)とその前面の埋め立て地に立つ水産振興センターからなる.津波は水産振興センター2 階屋根を大きく越え,建物全体が完全に水没したが,建物外壁は残った.展示標本類は波に飲み込まれたものの,その移動は展示室内にほぼとどまった.4月4日の予備調査以降,4月13日,4月18日,6月10日,その他数回にわたる調査と小型の標本のレスキュー事業が行われ,50数点あった魚竜,アンモノイド,貝類等の化石標本は,一部損壊したものもあったが,2点を除いて回収された.また,考古資料も,東北大学埋蔵文化財調査室によりほぼすべてが回収され,洗浄や整理の作業の後南三陸町に返還されている.

大型魚竜標本および和船の回収は,重量やサイズの問題があり,困難であったが,10月30日〜11月1日に大型クレーン車を導入して搬出した.化石標本類は現在総合学術博物館と仙台市科学館で保管され,魚竜館の再建をめざし,修復作業が行われつつある.

なお,1978年に記載されたウタツギョリュウ標本のうちの2体は地元歌津町教育委員会の所蔵となり,うち1体は天然記念物指定を受けていた.これらは町村合併後内陸部の志津川地域入谷の郷土文化保存伝習館に収蔵されており,被災をまぬがれていたことが2012年2月に明らかとなった.

大型魚竜館標本の修復作業

図8 仙台市科学館での企画展「復興 南三陸町・歌津魚竜館−世界最古の魚竜のふるさと」の会場風景.右奥は修復されたドイツ産魚竜化石,左奥はベザーノ産三畳紀魚竜化石(レプリカ),手前は各種の魚竜化石標本類(レプリカを含む).

回収された魚竜等の標本や復元レプリカのいくつかは破損し,修復が必要な状態にある.また,大型のドイツ・ホルツマーデン産ジュラ紀魚竜化石(Stenopterygius:125.5 cm×294.5 cm)は海水による裏打ちボードの劣化や金属フレームの腐蝕が認められ,安全に保管し,将来に引き継ぐためには早急な手当が求められていた.そこでこの標本の修復を地質学会の東日本大震災対応作業部会報告書に係る研究・調査・事業プランの一部として実施することとした.このための経費は地質学会からの助成金のほか,東北地質調査業協会からの支援金を用いた.

標本の修復作業は,裏打ちボードとフレームの交換で,(株)トゥーポイントに依頼した.作業は2011年12月に行われ,化石に直接する部分を除いてボードを切り取り,弱化部分を取り除いた後,新たなボードに貼り付け,ステンレス製フレームで強化した.古い金属フレーム(鉄製)の内部には海水が残存していた.

この修復によって,当該標本は一般展示を行える状態となり,現在,東北大学総合学術博物館の委任管理のもと,仙台市科学館エントランスホールにおいてベザーノ産三畳紀魚竜標本(レプリカ)とともに展示され,自然史標本の被災や郷土の学術遺産に関する情報提供に活用されている.なお,歌津魚竜館および魚竜標本の意義を広く知ってもらい,魚竜館の復興を目指すために, 2012年2月7日〜3月25日,他のレスキューされた標本や関連する標本を加えた企画展「復興 南三陸町・歌津魚竜館−世界最古の魚竜のふるさと」(仙台市科学館・南三陸町と共催)を,仙台市科学館で開催している.

 

(2012/2/20)