(速報)2月13日夜の福島県沖を震源とするM7.3の地震:地震発生時・直後の仙台市内の様子

 

辻森  樹・高嶋礼詩(東北大学)


 2021年2月13日午後11時8分ごろ,福島県沖(北緯37.73度,東経141.8度)でマグニチュード7.3(推定)の地震が発生した.震源の深さは約55 kmで,東北地方を中心に広範囲で揺れを観測し(仙台市青葉区は震度5強),気象庁は翌日14日に会見を開き,10年前に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の余震と説明した.西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型の地震で,日本海溝に沈み込む太平洋プレートの「スラブ内地震」と考えられる(気象庁 報道発表資料「令和3年2月13日23時08分頃の福島県沖の地震について」2月14日1時10分).https://www.jma.go.jp/jma/press/2102/14a/kaisetsu202102140110.pdf

以下,辻森と高嶋の個別リポート


 

地震発生時,私(辻森)はちょうど自宅(大学宿舎)で眠りについた直後で,長い揺れで目が覚めた. 2018年の学術大会(札幌大会)を襲った北海道胆振東部地震の時は,札幌市内のホテルで飛び起きたが,今回はジワジワ目が覚めた感がある.ベッドのなかから「まだ揺れてる,,,」とツイートできたほど,揺れは比較的長く続いた.「大きな縦揺れが10秒あまり」(NHK NEWS WEB「震度6弱 NHK仙台局 大きな縦揺れが10秒あまり」2021年2月13日 23時20分)とのことだが,大きな揺れのタイミングではまだ夢のなかにいたようで,長い揺れが収まり,寝室からでてから,地震後の部屋の惨状に今回の地震がかなり大きなものであったことを知った.まず,テレビでニュースを見ようとしたが,テレビが消えていた(テレビを載せていた棚が壁から移動し,その隙間にテレビが落下).食卓テーブルの上に置いていた物のほとんどが横滑りして床に散らかっていた.台所の食器棚2つも20 cmほど横に移動し,シンクは棚からの落下物で埋まっていた.さらに,壁に飾っていた絵画5つのうち4つが落下,机や棚の上に設置していた電子楽器類も床に転がっていた.幸いにも停電・断水にはならなかった.  
 地震発生当時の夜は午後10時頃までは複数の学生が大学(川内キャンパス)で実験をしていたが(私もその頃までは大学に居た),幸い,地震発生前には皆帰宅していた.メールなどで留学生を含めて複数の学生の安否が確認できた.しかし,実験室が心配だったので,遠方に住む娘に安否を電話で伝えながら着替えて,折りたたみ式ヘルメットとアマチュア無線機をショルダーバックに入れて,徒歩2分の距離の大学に向かった.地下鉄の運転停止で,地下鉄駅(仙台地下鉄東西線川内駅)前のバス停には遅い時間の割に人が目立った.大学に向かう途中,地震後,タクシーで大学に駆けつけ,実験装置の状態を確認し終えて下宿に帰る途中だった博士課程の学生とすれ違い,実験装置の無事の第一報を受けた.大学に到着すると,学生の部屋などは,床に書類や文房具が散乱した状態であったが,水漏れや発火がないことを確認できたので,部局長にメールで状況を伝え,帰宅した.帰宅後は,自宅の床の片付けを先延ばしし,モバイルバッテリーの充電の他,水筒に水の確保と浴槽に水をためてから就寝した.Webのニュースで地震の状況を調べたい気持ちもあったが,疲れていたので余震も全く気にならず朝まで熟睡した.  

図1. 地震によるコンクリートのひび割れの様子
(東北大学川内キャンパス,撮影:辻森).

 

 翌朝,大学に着くと,夜には気が付かなかった建物及びその周辺のひび割れが目立った(図1).学生の部屋では想像以上に床に落下したマグカップが割れていたようで割れ物のゴミが集められていた.週末にも関わらず,既に学生らが被害状況を撮影した後,自主的に片付けを終えていて感心した.幸い私の居室は部屋の隅の花瓶が1つと,ティーパック受けの小皿が1枚割れただけで,壁に新しくできたひび割れを除いて大きな被害はなかった.地震対策として,キャスター付きの机・テーブルは固定するのが正しいのだが,私の居室では2つの机を日常的に動かしていて固定していない.今回,居室のなかで非固定の机・テーブル2つが大きく水平移動していたものの,机上に不安定に積み上がった書類も小物もパソコン用の液晶モニターも崩れずにそのままの状態にあったのは驚いた.私は10年前の東日本大震災を経験しておらず,今回の地震は札幌大会で経験した北海道胆振東部地震と同等の地震の経験になった.地震は避けることのできない自然現象という意識はあるものの,実際に大きな地震が起こってみると改めて日常的な地震への備えが不十分であることを率直に反省した.

(2021年2月14日 辻森 樹



 《2月14日-15日未明》地震が起きた時,私(高嶋)はちょうど就寝直後で,大きな揺れと家のきしむ音で飛び起きた.家族は全員2階で寝ていたが,2階は本が数冊落ちたくらいでとくに被害はなかったので,1階の様子を見るために下に降りた.東日本大震災後にできた家のため,本棚や食器棚などの収納家具は全て立て付け・ドア付きが幸いし,何も落下物は無かった.とくに収納家具のドアに緩くゴムをかけていたことで,落下をかなり防げたと思われる.しかし息子の飼育している水生生物の水槽付近が大惨事を引き起こしていた.まず居間の海水魚水槽周辺と金魚水槽の周辺は揺れによって海水・淡水がそれぞれこぼれて床が水浸し.特に海水魚水槽付近では延長コードにも海水が侵入していたため,まずは海水除去に時間を取られ,40分ほど拭き掃除をすることとなった.続いて,玄関へ移動.ここにも,3つの淡水魚水槽から水が吹きこぼれ,水浸しになっていた.ここには4つの水槽があり,それぞれの住人は,ナマズx2,二ホンウナギ,メダカx10,ギラファノコギリクワガタであったが,いずれも地震の前後を通して全く平常通りで,地震予知に全く役に立たないと痛感しつつ,さらなる拭き掃除に時間を費やした.1時過ぎに家がひとまず落ち着いたので,大学からの安否情報確認メールに返信し,標本館と研究室に車で向かった.私の居室・実験室は震災後に一時的に建てられた2階建てのプレハブ(その後恒久施設として残ることとなった)にあり,公式名称も「仮設校舎A」という,まるで実名報道不可の様な名前の建物である.しかし,この建物はコンクリのべた基礎で,比較的丈夫な作りだったため,幸い,実験室のビーカー等のガラス機器類が一部落下により破損しただけで,棚が外れたりゆがんだりすることもなく大きな被害はなかった.最も心配していた薬品棚も,薬品を全てケースに収納し,さらに耐震固定をしていたため無事だった.東日本大震災の際は,薬品棚が倒れて,取り出しする面が床を向いていたために,薬品を取り出すこともままならなかったが,今回,きちんと固定していたことが功を奏したのかもしれない.大量のサンプルも落下措置をしていたため無事だったし,居室も本が数冊落ちていただけで済んだ.続いて自然史標本館の展示室・収蔵室をみたが,やはりここも落下物や破損はほとんど確認されなかった.展示品の吊り下げた浮遊性有孔虫化石の石膏模型が絡まっていたのと(図2),収蔵庫の数10cmサイズのアンモナイトが1つ落下して割れた程度で済んだようである.当館は高層建築でないことと,安全衛生委員会の定期巡視の際に様々な指摘を受けており,その都度,落下防止等の措置を講じていたことも,被害の回避につながったものと思われる.

 
図2.東北大学自然史標本館の浮遊性有孔虫化石の石膏模型展示.
絡まっているが破損は無し
(東北大学青葉山キャンパス,撮影:眦茵法
図3.東北大学理学部地学棟5階,井龍教授室.
多くの書物が落下
(東北大学青葉山キャンパス,撮影:井龍康文).
図4.東北大学理学部地学棟6階,鈴木紀毅准教授室.
つっかえ棒により転倒は免れたが,書籍の多くが落下
(東北大学青葉山キャンパス,撮影:眦茵法
 
 《2月15日》翌朝,さらに被害状況確認を行った.6階建ての地学棟は高層階ほど被害が大きく,井龍教授の部屋(5階)や長濱教授・鈴木准教授の部屋(6階)はコンピューターや書籍,観葉植物などの落下が激しかった模様で(図3,4),同じフロア―の学生実習室では顕微鏡5台が落下により破損した.学生部屋のパソコン・モニター等も多くが落下もしくは転倒していた.また,理学部の建物の多くは,エレベーター部分と居室・実験室部分が短い渡り廊下でつながった構造であるが,この連結部が大きく破損していた(図5).これは10年前の東日本大震災でも同様であった.機械類の被害の実態が分かるまではしばらくかかりそうである.我々の博物館が標本置き場にしている化学棟6〜8階はさらに被害が大きく,本棚も固定していたが,壁ごと外れて倒れていたり,中のものが飛び出していた(図6,7).転落防止措置を行っていたものは比較的軽微で済んでいたが,それでも本の落下を完全に止めることができなかった(図8).化学棟の6階以上の高層階は東日本大震災後に居室としての使用が禁止されていたのは,判断として正解だったと思われる.
図5.東北大学理学部化学棟6階 
エレベーター/居室の接合部分が大きく破損
(東北大学青葉山キャンパス,撮影:眦茵法
図6.東北大学理学部化学棟6階 
博物館標本・文献保管スペース1.
(東北大学青葉山キャンパス,撮影:吉田武義).
図7.東北大学理学部化学棟6階 
博物館標本・文献保管スペース2.
(東北大学青葉山キャンパス,撮影:眦茵法
図8.東北大学理学部化学棟6階,
落下防止措置済み博物館標本・文献保管スペース
(東北大学青葉山キャンパス,撮影:眦茵法

(2021年2月15日 高嶋礼詩

2021.02.15掲載,02.16写真追加