世界のM9地震と地質学の課題

石渡 明(東北大学東北アジア研究センター)

マグニチュード(M)9.1(ここでは国立天文台(2011)に基づくモーメント・マグニチュード(Mw)を用いる)の2011年東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波および原子力発電所の事故による東日本大震災が発生してから1年になる。体に感じる余震はまだ頻発しているが,ここ数ヶ月間は被害を伴う地震の発生はない(※)。今後の地震災害について考えるために,地球上で過去にM9クラスの超巨大地震が発生した地域における,その前後の地震活動の推移を知ることが大切だと思い,それらの地域における最近の大地震の時空分布を簡単にまとめてみた(図1,2)。そして,我々地質研究者の当面の課題について考えてみたい。 世界で観測史上最大の地震の規模はM9.5だったので,ここではM8.6〜9.5をM9クラスの超巨大地震,M7.6〜8.5をM8クラスの巨大地震,M6.6〜M7.5をM7クラスの大地震と呼ぶことにする。M値が1つ大きいと地震のエネルギーは32倍,2つ大きいと1000倍になる。これは,同じ規模の地震がもう1度起きるとM値0.2の増加に相当し,10回起きると0.7,32回起きると1.0の増加に相当するということである。M9地震のエネルギーは約1018Jになり,これは長崎型原子爆弾約1万発分,大型水素爆弾約10発分の爆発エネルギーに相当する。また,海洋プレートが沈み込む海溝とそこから内陸側のマントルへ斜めに下がっていく断層面またはその近くで起きる地震を海溝型地震,沈み込み帯上の島弧や大陸縁の地殻の浅部で起きる地震を(内陸)直下型地震と呼ぶことにする。直下型地震の場合はM6.5以下の中小規模の地震でも大きな人的被害を生じることがある。

 

図1.日本(a),スマトラ(b),カムチャッカ・アリューシャン・アラスカ(c),南米太平洋岸(d)の最近の大地震の震源位置,発生年月日と地震の規模。期間は(a), (b)が最近20年,(c), (d)が最近80年。M7.8以上または地震・津波の死者数が1000人以上の地震のみを示した。ただし(a)についてはM7クラスの直下型地震も位置のみ示した。(d)ではチリとその周辺の地震のみ年月日などを示した。どの図も沈み込む海洋プレートが右下または下側に,大陸側が左上または上側になるように配置し,プレートの沈み込み境界(海溝)を太線で示した。また,本文中で触れた超巨大地震と関連して噴火したと思われる火山も示した。データは国立天文台編(2011)に基づく。

 

まず,日本付近の地震の起こり方の特徴を最近20年間について見ると,1995年前後と2005年前後に千島〜北海道〜三陸北部沖の海溝沿いでM8クラスの巨大地震が頻発し,同じ時期に1995年の兵庫県南部地震や2004年の中越地震など内陸直下型地震も頻発したので,2回の地震活動のピークがあったように見える(図2a)。特に2005年の三陸南部沖M7.2地震が発生した前後に,宮城県と岩手県で直下型地震が頻発し,中でも2008年の岩手・宮城内陸地震は規模と被害が大きかった。そして2005年の地震とほぼ同じ場所で,2011年3月9日にM7.4の地震が発生し,ついに11日のM9.1超巨大地震に至った。また,同日中にさらに南の茨城県沖で最大余震(M7.9)が発生した。このように,最近20年間に千島海溝〜日本海溝沿いでM8クラスの巨大地震が多数発生しており,2011年3月11日の超巨大地震はこの海溝型地震の活動域の南端で発生したことがわかる(図1a)。一方,日本の内陸各地だけでなく,日本海東縁地震帯の北海道南西沖(1993年)やサハリン(1995年),そして南方の台湾(1986,1999年)や西方の中国(1997, 2001, 2008年)でもこの20年間に大地震が頻発したが,関東・東海・紀伊・四国南部・九州南部・琉球などの南海トラフ沿いの長大な地域で直下型大地震も海溝型大地震も起きていないことが注目される(図1a)。

さて,世界では過去80年の間にM9クラスの超巨大地震が日本の東北地方,インドネシアのスマトラ,ロシアのカムチャッカ,米国のアリューシャンとアラスカ,そして南米チリの6つの地域で8回起き,平均して10年に1回ずつ起きてきたことになる。

スマトラ島周辺の最近20年間の地震の起き方を見ると,2004年末のM9.0(一説によるとM9.3)の超巨大地震以後,スマトラ島のインド洋岸沿いに平均年1回のペースでM8クラスの巨大地震が起きており,それ以前の大地震は,2000年にスマトラ島南部沖で1回あっただけである(図2b)。2004年以後のM8クラスの巨大地震は,この2000年と2004年の両震源の間の地域で発生している(図1b)。2004年の地震の震源断層(余震域)はスマトラ北端沖の震源から北へ1200 kmのアンダマン諸島まで達するが,スマトラ中・南部沖は余震域に含まれず,その後の一連の巨大地震は2004年地震の余震ではない。特に2005年3月に起きた地震(M8.6)は超巨大地震に匹敵し,2007年の地震もM8.5と大きかった。東北〜北海道沖では,一連の巨大地震の頻発後に超巨大地震が起きたが,スマトラではまず超巨大地震が起き,その後に巨大地震が頻発しているという違いがある。しかし,1000 km程度の範囲で超巨大地震に伴って巨大地震が頻発するという点は共通している。また,M7クラス以下の内陸直下型地震も起きているが,発生頻度は日本より少ないようである。この20年間で最も大きな被害が出た直下型地震は2006年にジャワ島中南部のジョグジャカルタ附近で死者5700人以上を出したM6.3の地震である(図1b)。

カムチャッカ・アリューシャン・アラスカ地域は比較的地震が少ないが,M9クラスの超巨大地震は最も多く,最近80年間に4回起きている(図2c)。1952年にカムチャッカ沖でM9.0,1957年にアリューシャン列島中部でM9.1,そして1964年にアラスカでM9.2と,西から東へM9クラスの超巨大地震が5〜7年間隔で起き,更に翌1965年には再び列島中部でM8.7の超巨大地震が発生し,その震源は1957年の震源と200 km程度しか離れていない(図1c)。1964年アラスカ地震では,地殻変動により海岸沿いの広範囲の陸地が20 mほど海側へ移動し(2011年の東北地震では5 m),アンカレッジでは地滑りで市街が海側へ移動した(力武, 1996)。1958年に発生したアラスカのリツヤ湾地震では,湾奥で発生した地滑りが海になだれ込み,最大波高527 mという世界の歴史上最大の津波が発生した(同書)。そして,この時期の1958年と1963年に千島列島南部沖でも相次いでM8クラスの巨大地震が発生した。カムチャッカ・アリューシャン・アラスカ地域では,日本やインドネシアのようにM9地震の前または後に,隣接地域でM8クラスの巨大地震が毎年のように頻発するということはなかったが,アリューシャン列島中部でM9クラスの超巨大地震が1957年と1965年に8年の間をおいて繰り返し起きたことは注目に値する。

南米のチリからペルーを経てエクアドル・コロンビアに至る太平洋岸沿いも,日本やインドネシアに比べると地震の発生頻度は低いが,この沿岸全域でM8クラスの巨大地震が発生しており,内陸直下型大地震もある程度発生する(図1d)。M9.5という観測史上世界最大の超巨大地震が1960年にチリ中部沖で発生し,その津波により日本でも大きな被害が出た(日本での最大波高6 m)。そして,その50年後の2010年に約400 km北方でM8.8の超巨大地震が発生した(図1d)。この地震の津波も日本に来たが,1 m程度の波高だった。これは東北沿岸の住民の津波に対する警戒心を弱める逆効果をもたらし,結果的に東日本大震災の被害を拡大させた。これらは南米の太平洋沿岸で最近80年間に発生した地震のうち最大の2つである。1960年のM9.5の超巨大地震の前と後を比べると,前の方がM8クラスの巨大地震の発生頻度がやや高かったようであるが,2010年の超巨大地震の前に巨大地震の発生頻度が高くなったようには見えない(図2d)。

 

図2.日本(a),スマトラ(b),カムチャッカ・アリューシャン・アラスカ(c),南米太平洋岸(d)の最近の大地震発生の時系列。期間やデータは図1と同じ。ただし,(c)は千島地域の地震を除く。

 

以上のような世界各地の超巨大地震の起き方を比較すると,次のようなことが言える。

1.M9クラスの超巨大地震がもう一度来ることはあるか

超巨大地震が500 km以内の地域で続けて起きることは,上述の6つの地域(東北日本,スマトラ,カムチャッカ,アリューシャン,アラスカ,チリ)のうち3地域で発生した。スマトラでは3ヶ月後(と3年後),アリューシャンでは8年後,チリ中部では50年後に次の超巨大地震が来た。東北日本は地震発生後の年数が不足のため事例から除外すると,5地域のうち3地域で50年以内に次の超巨大地震が来たことになる。事例が少ないとはいえ,東北日本でもその可能性があると思った方がよい。

2.M8クラスの巨大地震が今後頻発することはあるか

インドネシアでは,2004年にM9.0の超巨大地震が発生して以後,その震源の南に隣接する地域でM8クラスの巨大地震が年1回程度の割合で発生し続けているが,東北〜北海道沖ではこれと逆に,巨大地震が相次いで発生していた地域の南端で超巨大地震が発生した。そして,他の4地域では超巨大地震の前後に隣接地域で巨大地震が頻発するということはなかった。今後もM8クラスの巨大地震が東北〜北海道沖で引き続き頻発するか,これで収束するかは判断できないが,もともと日本の地震活動は世界で最も活発なことを念頭に置く必要がある。巨大地震の震源が南方に広がる傾向があり(図1a),今後は伊豆諸島沖や関東〜九州〜琉球にかけての海溝沿いでも巨大地震が発生する可能性がある。

3.M7クラスの内陸直下型大地震が今後頻発することはあるか

日本では2000年以後M7クラスの直下型大地震が毎年のように発生している。特に中央〜西南日本では,海溝型の巨大地震が発生する前後には内陸直下型地震の発生頻度も高くなることが過去数100年間の歴史資料により明らかになっている(尾池, 1997)。1944年の東南海地震(M7.9)と1946年の南海地震(M8.0)以後,1948年の福井地震から1995年の阪神大震災までの約50年間は比較的地震の発生が少なく,日本はこの間に高度経済成長を遂げた。しかし2000年以後の地震頻発傾向は,今後数10年間続くと考えた方がよい。

以上のような今後の地震活動についての見通しを確認した上で,地質学者が現時点で緊急に研究すべき2つの課題について論じる。

第1は火山活動である。1703年12月31日の元禄関東地震(M8級),1707年10月28日の宝永東海・東南海地震(M8.6)に続いて1707年12月16日に富士山が噴火し,江戸にも火山灰が降ったことがよく知られている。しかし,1854年の安政東海・南海地震,1855年の江戸地震や1923年関東地震,1944年東南海地震,1946年南海地震などでは富士山の噴火はなかった。インドネシアでは2004年12月の超巨大地震の後,2005年4月にメラピ火山が噴火したことが知られているが,地震はスマトラ島北端が震源で,メラピ山はジャワ島東部にあり,両者は2000 km以上離れている。ジャワ島東部では2007年10月以後ケルート火山も噴火を続けている。スマトラ島ではマラピ火山などが噴火を続けているが,地震に伴う大噴火はなかった。カムチャッカでは1952年の超巨大地震の震源の北方にあるベズイミアニ火山が1956年に有史以来初噴火し,山頂部が大爆発して標高が185 m低下した。1975-76年には隣のトルバチク火山でも最大級の噴火があった。アリューシャンでは1957年の超巨大地震の7年前の1950年にグレートシトキン島が大噴火した。アラスカでも1964年の超巨大地震の11年前の1953年にスパー火山が有史以来初の大噴火を起こし,噴煙の高さが23kmに達した。トライデント火山も1953年と1962-63年に大噴火した。チリでは1960年の超巨大地震の後,1964年に震源近くのヴィジャリカ火山が噴火し,死者22人を出した。この火山は1971-72年にも噴火し,南方のハドソン火山も1971年と1991年に噴火した。要するに,超巨大地震の震源から数100 km以内の地域でその前後10年程度の期間に火山が大噴火を起こす例はカムチャッカ,アリューシャン,アラスカ,チリ等でも見られた。東北地方では,貞観(869),慶長(1611),明治(1896),昭和(1933)などの津波地震の前後に噴火した火山は鳥海山(871),磐梯山(1888),吾妻山(1893),安達太良山(1899)があり,秋田焼山,秋田駒ケ岳,栗駒山,蔵王山,日光白根山などでも小規模噴火があったようだ。特に磐梯山の噴火は山体崩壊を伴い,死者461人を出すなど大きな被害があった。東北地方ではカルデラ火山の火砕流を伴う噴火は十和田の915年噴火以後ないが,その可能性も視野に入れる必要がある。

第2は地滑りである。アラスカのリツヤ湾地震を筆頭として,地震が地滑りを誘発し,それによって大きな被害が出ることがある。しかも,地滑りは地震時に発生するとは限らず,しばらく経過してから発生することも多い。1964年6月16日の新潟地震の震源に近く,大きな地殻変動が起きた新潟県北部沖の粟島では,その10年後の1974年3月22日に大規模な地滑りが発生し,粟島浦村中心部の港湾施設や総合庁舎,保育園などを載せた海岸部の土地が長さ480 m幅60 mにわたって海中へ消え去った(加藤, 1981)。このような地滑りが湾内で発生すると,リツヤ湾のように局地的な大津波を引き起こす可能性がある。斜面の高さと傾斜,地層や断層の走向傾斜などから,危険な場所はある程度予測可能なはずである。あれだけの揺れと地殻変動に襲われた地域なので,近々東北地方太平洋岸のどこかで大規模な地滑りが発生すると思って準備した方がよい。地滑りは地割れ,地鳴りなどの前兆現象を伴うことが多いので,注意していれば事前に避難することも可能である。津波を生じる地滑りは火山噴火や火山体の崩壊でも発生し,日本では雲仙火山の眉山崩壊とそれによる津波(1792年,島原大変肥後迷惑)で大きな被害が出たが,これはM6.4の地震がきっかけだったという説もある。大規模工事が地滑りを誘発することもあり,1979年のフランス・ニース海上空港の建設に伴う崩壊と津波の例が知られている。海底地滑りが津波を引き起こすこともあるが,これは事前の調査や予測が不可能である。まず陸上の危険個所を洗い出し,適切な周知活動を起こすことが必要だと思う。

その他,活断層や津波堆積物の調査,震源域の海底掘削と掘削試料の解析,原発事故後の放射性物質の処理,液状化危険度の評価,復興計画への参画,被災博物館などの貴重な標本の修復,災害の記録と検証,防災教育など,地質研究者が貢献できる領域は広い。会員諸氏のご活躍を期待する。また,昨年の超巨大地震を「1000年に1度」などと言うが,それは東北日本に限った話であって,上述のように地球上では10年に1回程度発生する現象である。世界に学び,我々の経験を世界で役立てていかねばならない。それについて気になるのは,まだ世界共通の震度階がないことである。0〜7の震度階を使っているのは日本だけで,最近は強とか弱とか複雑化している。実際,地震の際に外国人との意思疎通に不便を感じた。これを機に一般人にわかりやすく使いやすい,例えば0から9まで10段階の世界共通の震度階を作ったらよいと思う。

1年後の現時点で,改めて東日本大震災の犠牲者に哀悼の意を表するとともに,地震,津波,原子力発電所事故など震災関連の被害を受けられた方々に心からお見舞い申し上げる。

拙稿を校閲して貴重な改善意見をいただいた宮下純夫氏,久田健一郎氏およびサイモン・ウォリス氏に感謝する。

※追記:この原稿は2012年3月11日に投稿したが,その後14日21:05に千葉県東方沖でM6.1の地震が発生し,茨城県や千葉県の一部で震度5強を観測,死者1名,負傷者1名,塀の倒壊,地盤の液状化などの被害があった.(2012年4月2日)

追記2:新聞・テレビなどの報道によると,日本時間2012年4月11日午後17:40(現地時間15:40)頃,インドネシアのスマトラ島北部西方沖のインド洋底を震源とするM8.6の超巨大地震があった.約2時間後にM8.2の余震があり,その後も余震が続いている.この地震は沈み込むインド洋プレート内部で横ずれ成分の大きい断層が動いたものとされ,津波は高いところでも1〜3 mだった.本文で述べたように,2004年末のM9地震以来,スマトラ島周辺では大地震が毎年のように発生しており,今回もそれらの1つと考えられる.アリューシャンやチリでもM9地震から50年以内に,約500 km以内の地域で次のM9地震が発生しており,関東・東北・北海道地域でも警戒が必要である.

 

【文献】

加藤碩一 (1981) 粟島地域の地質. 地域地質研究報告5万分の1図幅, 秋田6-81, 地質調査所. 32 p.

国立天文台編 (2011) 理科年表. 平成24年版, 丸善, 1108 p.

尾池和夫 (1997) 日本列島の地震とその観測体制. 日本学術会議編「明日の震災にどう備えるか」日学双書27, 17-34.

力武常次監修 (1996) 近代世界の災害. 国会資料編纂会, 415 p.

 

(2012.3.12)