「日本からみつかった巨大隕石衝突の証拠」発表までの道のり

佐藤峰南(九州大学大学院理学府 博士課程2年)



三畳紀層状チャートの露頭で有名な岐阜県坂祝(さかほぎ)町の木曽川河床では,隕石衝突により堆積した粘土岩が観察されます(図1).2013年9月16日,この粘土岩についてオスミウム同位体分析を行った著者らの研究成果がNature Communications誌に掲載されました(Sato et al., 2013).本稿では,多くのメディアに取り上げていただきましたこの研究のきっかけや経緯につきまして,自身の経験談を中心にご紹介させていただきます.なお詳しい研究の内容は,プレスリリース資料(http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/~onoue/press.pdf)に掲載してあります.

図1 オスミウムの同位体分析により隕石衝突の証拠が発見された粘土岩の写真.図中の番号はオスミウム同位体分析に用いたサンプル番号.岐阜県坂祝町.


研究が始動したのは2009年春,私が研究室に配属されてからはじめての調査でした.「三畳紀後期は複数の隕石衝突が起きた時代」というキーワードのもと,研究対象は三畳紀後期の遠洋性堆積物である美濃帯犬山の層状チャートに決まりました.最初は先行研究による放散虫化石年代に基づき,あてもなくひたすら三畳紀後期のチャートに挟まれる頁岩を単層ごとに採取していきました.4年生になったばかりの私は,これが卒論のテーマということで,大きな賭けをする気持ちでした.

持ち帰ったサンプルを粉末にし,大きさ数10ミクロンの磁性鉱物を1つずつ拾い出す作業がしばらく続いたあと,SEMを用いて反射電子像を撮影していきました.このとき,真球状の宇宙塵とは明らかに異なる多角形の粒子が大量に含まれているサンプルがあることに気づきました.EDXで元素の定性分析を行うと,Niのピークがあらわれました.これは,白亜紀/古第三紀境界から報告されている隕石衝突起源粒子と同じ粒子を発見した瞬間です(佐藤・尾上,2010).その後は,薄片作成,スフェルールの回収にはじまり,白金族元素の定量分析,オスミウム同位体分析など,私にとっては全く未知の「分析」という研究がはじまっていきました.なんとしても隕石衝突を証明したいと,その一心でした.
 

図2 オスミウム同位体分析に用いた粉末試料.NH52-R2のサンプルは,隕石衝突により形成された球状粒子(スフェルール)を含む.


修士2年の地球惑星科学連合大会期間中,オスミウム同位体分析による隕石衝突の証拠解明を行うため,海洋研究開発機構地球内部ダイナミクス領域(IFREE)の鈴木勝彦主任研究員および野崎達生研究員と共同研究のお話をさせていただきました.当時指導教員であった尾上哲治准教授(当時鹿児島大学助教)と4人でテーブルに座り,面接のようなやりとりが繰り広げられました.「大丈夫か,頑張れるか」という問いに,私は「はい」と答えるほかありませんでした.しかし,学部時代に化学実験すら受講していなかった私は,本当に大丈夫なのだろうかと不安でしょうがなかったです.その後,共同研究がスタートし,とりあえず私はひたすら粉末サンプルを作成しはじめました.チャートの風化していないきれいな面を岩石カッターで切り出し,メノウ乳鉢でゴマ粒ほどの大きさに粉砕します.そのあと,脈などをピンセットでひとつひとつ丁寧に取り除き,粉砕用ボールミルにサンプルを投入するまでにはかなりの時間を要します.チャートは硬く,何度もメノウ乳鉢を投げ捨てたい衝動にかられました.全27サンプルを作り終えたのは作り始めてからどれくらいの期間が過ぎた頃でしょうか,その日は朝2時を過ぎたあたりで,一人実験室でテンションがあがり,小さな瓶に詰められたふわふわのサンプルを並べて,写真を撮ったのを覚えています(図2).露頭でのサンプル採取からはじめたこの粉末サンプルたちは,この時から愛着が湧き,手放せないものになりました.

大事なサンプルたちを抱えて,夏休みに3週間ほどの間,海洋研究開発機構IFREEに設置されているマルチコレクター誘導結合プラズマ質量分析装置(MC-ICP-MS)での分析が始まりました.オスミウムの含有量は極微量なうえ,酸化されると揮発するというやっかいな性質をもつため,分析までの試料作成はこれでもかというくらい注意をはらって行わなければなりませんでした.初日は手の指と肩が筋肉痛になりましたが,野崎さんは前処理を丁寧かつ的確に指導してくださいました.あとから考えると,もう絶対にやりたくない(その後も2回分析させていただくことになったのですが…もちろんデータが必要なためですが,意外とやみつきになるものです)と思うのですが,その時は必死で,今自分がしている作業はどういう意味があるのかを逐一確認して頭に詰め込むことで精一杯で,どきどきしながらの毎日でした.
肝心の隕石衝突層準と思われるサンプルは,最後に測定が行われました.結果が出てくるまでは,不安で分析装置の前から片時も離れることはできません.オスミウム同位体分析の最後のデータが出たとき,これまで分析に関することを1から教えて下さった野崎さんとガッツポーズして喜んだことを今でもよく覚えています.ハイタッチまでしたかもしれません.隕石衝突を証明した瞬間でした.今回発表された論文で強調した「隕石衝突の絶対的な証明」として行ったオスミウム同位体分析の成功です.

首都大学東京では,海老原充教授の研究室でICP-MS分析装置をお借りし,白井直樹助教のご指導のもと白金族元素の定量分析が行われました.博士1年になった夏のことです.当たり前ですが,実験室は非常にクリーンな状態が保たれており,窓を開けることはできません.真夏の実験室で毎日立ちくらみを起こしながら,ご飯も食べずに実験に打ち込む日々でした.前処理が終わっていよいよ測定日となったとき,夜通し機器を止めずに測定することに決めた白井先生と私は,今度はクーラーで管理された寒い空間で24時間戦うことになりました.
その日,夜遅くなって,海老原先生がコーヒーをいれてくださり,「少しあたたまったらどうですか」と声をかけて下さいました.交代で研究室に戻ると,そこには何も言わずにお寿司のお弁当が置いてありました.慣れない環境とはじめての分析で気づかないうちに疲れがたまっていた私は,その優しさに一人号泣してしまいました.本当に私は人に恵まれてここまでこられたのだとつくづく思います.

分析をしている間はとにかく必死でしたが,そのあとに待っているのはもちろん論文執筆です.はじめての国際誌ということで,分からないことばかりでした.投稿規定を把握するだけでも,ものすごい時間を要しました.海洋研究開発機構の方々の後押しにより,Nature Geoscienceに投稿するという恐ろしい事態に直面しましたが,投稿からわずか4日でリジェクトの通知が届きました.その後は,次の投稿に向けて原稿を修正し,Nature Communicationsへリベンジです.編集者から「査読にまわした」と連絡がくるまで,私の睡眠時間は4時間をきっていました.夜中になると,イギリスの時間が気になり,メールの更新ボタンを何度も押してしまっていました.約1ヶ月後に3人の査読者からコメントが届いてからは,また怒濤の日々の始まりです.再分析のため粉末サンプルを作り直し,もう一度野外調査に行き,海洋研究開発機構でオスミウム同位体分析を行いました.そして,それを論文に加筆し,査読者のコメントに答える…私の脳みそは毎日沸騰しっぱなしで,お風呂に入ると明らかに抜け毛が多くぎょっとしました.このようにつらいことばかりだったように思われますが,共著者の方々は,私の目茶苦茶な英語に丁寧にコメントを下さり,なぜその書き方がだめなのか,レクチャーしていただくことさえありました.私はこの論文が少しずつ前に進むたび,本当にこのメンバーで研究できて幸せだなと感じていました.なんだか,ファミリーのような気持ちになっていたのです.

2度目のレスポンスを提出してから約3週間後,編集者から論文受理のメールが届きました.なかなかメールを開けず,挙動不審になっていた私を,研究室にいた後輩は何も言わず見守っていてくれました.声が震えながら尾上先生に電話をすると,だめだったのか…という反応でしたが,私が内容を伝えると,おそらく電話の向こうで拳を突き上げていたのではないかというくらい絶叫していました.査読者の1人は,最初はかたくなに出版を拒んでいましたが,受理が決まったとき,「私の挑発的な問いに負けず,よく頑張った.これはこの雑誌に掲載されるに値する」というコメントをつけてくださいました.またしても号泣です.喜んだのもつかの間,出版にあたり細かな修正やプレスリリースの準備に追われながらも,だんだんと実感が湧いてきました.文部科学省で行った記者会見は緊張で震えましたが,たくさんのメディアに取り上げていただき本当に嬉しかったです.そして何より,雑誌のホームページに論文が掲載された画面をみたときは,なんとも言い表せないほど嬉しい気持ちになりました.

地質学を通して,2億1500万年前に起きた隕石衝突による残骸が,今自分の手の中にあるという実感を得られたことは,とても幸せなことだと思います.そして,分析の結果をみて,なぜそうなったのかと,もう一度露頭に行き観察する,その繰り返しが,とても難しく,そしてとても楽しいです.

運の強さと素敵な指導教員,今まで出会ったすべての共同研究者の方々に恵まれ,今回このような結果を残すことができました.そして,論文を執筆するにあたり,頼りない筆頭著者にご助言・ご指導いただき支え続けてくださった共著者の皆様に心から感謝いたします.

 

【文献】

佐藤峰南・尾上哲治,2010,中部日本,美濃帯の上部トリアス系チャートから発見したNiに富むスピネル粒子.地質雑,116,575-578.

Sato, H., Onoue, T., Nozaki, T. and Suzuki, K., 2013, Osmium isotope evidence for a large Late Triassic impact event. Nature Communications, 4, 2455, doi:10.1038/ncomms3455.

 

 

(2013.9.26)