地学に名を轟かした水戸藩の長久保赤水の改正日本輿地路程全図

 

正会員 石渡 明

 

寛政3(1791)年の改正日本輿地路程全図(赤水図)第二版(常州 水戸 長玄珠子王父製,浪華 浅野弥兵衛発行,京師 畑九兵衛鐫字)の復刻版(129×83cm).高萩市教育委員会生涯学習課が希望者に有料で配布している.申込方法は同課HP参照.ただし,この復刻版の序文の標題は「改正…」ではなく「新刻…」になっている. https://www.city.takahagi.ibaraki.jp/page/page004791.html

  伊能忠敬(いのう ただたか)(1745-1818)は幕府の命により全国を実地測量して精密な地図を作ったが,伊能図(大日本沿海輿地全図:文政4(1821)年完成)は秘密とされ一般人は使用できなかった.それに対し,長久保赤水(ながくぼ せきすい)(1717-1801)が作ったのは10里が1寸の縮尺(約130万分の1)の1枚刷り全国図で,経緯線が入り,郡や村,道路,山川,古跡名勝等が詳しく示され,国別の色分けも美しく,安永9(1780)年に大坂で初版を出版して以来,明治の初めまで約100年間にわたって版を重ね,国内はもちろん国外でも,正確で実用的な日本地図として重宝された.伊能も測量の際には赤水図を携行したという.令和2(2020)年に赤水の地図や資料が国の重要文化財に指定され,令和4年5月31日と6月7日の東京新聞朝刊に「伊能忠敬より42年も前に日本地図を作った男 長久保赤水を語る」という佐川春久の論説が載るなど,評価が高まっている.赤水の出身地は常陸国多賀郡赤浜村,現在の茨城県高萩市であり,そこでは復刻出版等の顕彰事業が進む.ところで,幕末の文久4(1864)年に江戸で出版された「大日本海陸全図」(笑寿屋庄七梓,竹口滝三郎刻)の作者整軒玄魚の説明文には,「坊間流布の刊本は何れも全備して誤脱なきは未(いま)だ見(み)及ばず.ただ往年地学に名を轟(とどろ)かしたりし水府赤水先生の輿地(よち)全図は紙幅少くて微細にこそ書記されね錯誤は大方(おおかた)あらぬようなり」(カナを現代風に改変)と書いてある.実際この海陸全図はほとんど赤水図のコピーで,それに不正確な蝦夷(えぞ)島(北海道)の地図を描き加えたものである.この説明文で注目すべきは赤水先生が「地学に名を轟かした」と述べていることで,以下に赤水図が地学的に優れている点を指摘し,「江戸時代中期の地学者」長久保赤水の労作の紹介としたい.

 まず,赤水図左下の説明文を見ると,各地で観測された北極星の高度によって緯線を引いたこと,緯度1度はほぼ32里に相当することを述べている(32里は約126kmだが,実際の緯度1度は約111km).江戸付近の緯線を現在の地図と比べると約7分南へずれていて,例えば現在の北緯35度線は伊豆半島の伊東や修善寺の少し北を通るが,赤水図では天城山付近を通る違いはあるものの,当時既に緯度を約0.1度の精度で測定できていたことになる.また,同じ説明文には,太陽は一時(ひととき)(2時間)に30度動き,日本は東海から西海まで経度で10度の差があるから,常陸(ひたち)・陸奥(むつ)の午(うま)の初刻(午前11時頃)は長崎辺の巳(み)の下刻(午前10時過ぎ)だと述べている.これは時差を正確に認識していたことを示す.図の左上には「東都榊原隠士考証」の潮汐についての説明文がある.長門(ながと)付近の満潮は紀伊の満潮と同期し,瀬戸内海両端から入った潮は75里(約300km)先の備中(びっちゅう)白石(島,笠岡市)で合すること,明石の潮は大坂より半時(1時間)ほど遅く,備前(びぜん)の潮は播磨(はりま)より二時(ふたとき)遅く,備中の潮は備前より一時(ひととき)遅いこと,北国(北陸)では潮の干満が小さく,時候によっては5〜7日間一方的に引き潮になることがあり,これを片潮と言うと述べている.丸善の理科年表によると,東京との干満時間のずれは神戸で+2h30m,高松(備中の対岸)で+6h20m,広島で+4h50m,下関で+4h20mとなっていて,赤水図の記述と大差なく,北陸の干満差が小さいのは現在も同様である.「片潮」は広辞苑に無い語だが,海事関係者の間では今も使われる.

 赤水図には各地の自然がよく記入されている.例えば新潟焼山,浅間山,阿蘇山,温泉(雲仙)岳,霧島山などの活火山には山上に噴煙が描かれており(なぜか桜島には噴煙がない),温泉岳には「ヂゴクアリ」と注記してあるが,この地図出版の翌1792年,島原大変肥後迷惑と呼ばれる地獄のような火山災害が起きた.富士山には1707年の噴火でできた宝永山が付記してあり,八ヶ岳は山を8つ並べ,妙義山はギザギザの稜線になっている等,山の形は実物に即している.各地の「富士」も示されていて,岩木山には津軽富士と注記され,松山西方の海中に伊予富士(興居(ごご)島:最近は石鎚山系の高知県境の山を伊予富士と言い,この島は伊予小富士という)が描いてある.秋田県にかほ市の象潟(きさかた)は入江になっていて,その中に多数の島が描いてあるが,ここは文化元(1804)年の象潟地震で隆起陸化し,多島海の景観が失われてしまった.山形県大沼にも多数の島が描かれ,「ウキシマアリ」と注記してあるほか,宮城県の松島や長崎県佐世保市の九十九島にも多数の島が描いてある.一方,江戸の西には「ムサシの」として多数の樹木を描いてある.また,「越後に七奇ありと.しかしただ火井と山油を以って奇とするに足る」という注記があり,阿賀野川中流域右岸に火井と山油の産出位置が示してある.当時の重要な鉱山として石見(いわみ)(大森)銀山が示されているが,禁に触れるためか,佐渡金山は示していない※4.伊豆七島の御蔵島と八丈島の間に「黒瀬川広さ30町(約3km)ばかり.また黒潮と言う.片セ(片瀬,片潮)急流.冬春の間にあり,夏秋はなし.舟行甚(はなは)だ難(かた)し」として流れの位置が示してある.

 また,全国3カ所の海上の火について特記されている.有明(ありあけ)海・八代(やつしろ)海は,「海面時に火有り.累々として相連なり聚散動止す.けだし陰火なり.景行帝この火に感じ,以って其の国を名づく(大化改新前,肥前・肥後は「火の国」と言った)」とある.また,豊前(ぶぜん)沖には,「海上時に火光を現ず.聚散飛動す.初め山より二火出で,空中で合して戦うが如し.而して海に落ちてまた山に帰る.名づけて不知火(しらぬい)と言う」とある.そして磐城(いわき)四ツ倉沖には,「海上に毎夜陰火起こる.大きさ炬(たいまつ)の如し.竈(かまど)川(夏井川)を遡り,赤井岳(阿加井岳,閼伽井嶽)の麓に至る.大杉の梢(こずえ)を飛び懸け,須臾(しゅゆ)にして林中に隠る.続いてまた上る.初昏より暁(あかつき)に至る.累々乎として不断.その数幾つかを知らず.凡そ月夜即ち火光薄く,暗夜即ち明らかなり.この火独り阿加井岳に於いてこれを見る.他よりこれを観るところ一点の光影なく,また奇なり.これを名づけて阿加井竜灯という」とある.海岸から閼伽井岳までは16kmで,その途中にいわき(平)市街がある.現在,不知火は漁火や街の灯が海面や河面付近の冷気で屈折し,空中を飛動するように見える現象と説明されている(夏に多い).

 これら赤水図の記述内容を見ると,「地学に名を轟かした」実力がよくわかる.しかし,赤水は旅行好きだったものの,伊能忠敬のように全国を歩いて地図を作ったわけではない.赤水図第二版の「阿波(あわ)国儒者讃岐(さぬき)柴邦彦」撰の序文によると,自室の壁に白地図を貼って,旅の僧侶や商人を呼び込み,茶菓で歓待してその郷里や道中の地理を聞き出し,新知見を白地図にどんどん書き入れて地図を完成させたのだという.つまり踏査ではなく接待で作り上げた地図ということになる.赤水図の出羽湯沢の北の「言語同断」※1 という書き込みは意味不明だが,もしかしたら,湯沢から来た客が言語道断の振る舞いをしたのかもしれない.また,この図が近年注目されるもう一つの理由は竹島が描かれていることで,「一に磯竹島と言う.高麗(こうらい)と雲州(出雲(いずも))を見,隠州(隠岐(おき))を望む」と注記されている.高萩市教委のパンフによると,赤水は朝鮮輿地之図,中国の三国時代の地図,地球万国全図等も描き,天体の運行を説明した初心者向けの天文書(星座早見盤つき)も刊行したとのことである.  

長久保赤水(玄珠,源五兵衛)※2 は農民の子として生を享け,11歳までに両親を失う不幸な生い立ちだったが,勉学に精励して武士格の儒学者となり,晩年には水戸徳川家第6代治保(はるもり)(文公)の侍講を務め,「大日本史」地理誌の編纂を行った.パンフの肖像画からは,明朗快活だが一癖ある,といった性格が伺え,会えば開口一番「お国はどちらですか」と聞かれそうな気がする.江戸時代中期の日本の地学のレベルの高さがよくわかる赤水図のご一覧をお勧めする.※3


※1:「言語同断」は地名であることがわかった.読みは「てくら」で,現在の秋田県雄勝郡東成瀬村手倉付近を指した.ここは湯沢・横手の盆地から東へ向かう街道が山に入る所で,江戸時代はここに番所があり,「国払い」にする罪人を久保田(秋田市)からここまで役人が護送してきて,国に戻ることは言語道断である旨を言い渡すなどして,国外に追放したようである.なお,「てくらだ」と読む姓もあるそうである.

※2:赤水は号,玄珠(はるたか,一説に「はるなが」)は名,子玉(しぎょく)は字、源五兵衛は通称。図の説明2行目の「長玄珠子王父製」の「子王」は「子玉」が正しいと思われる.(2022.8.16追記)

※3:長久保赤水顕彰会長の佐川春久様から日本地質学会を通じて下記の書籍をご恵与いただいたので,ここに紹介する.パンフレットも多数いただいたが,ここでは割愛させていただく.(2022.9.26追記)

※4:石見銀山だけでなく,但馬の「イクノ(生野)銀山」,丹波笹山(篠山)南方の摂津の(多田)銀山,出羽尾花沢近くの(延沢)銀山(現在は銀山温泉がある),そして出羽・陸奥北部の多数の銀山,金山,銅山,銕(鉄)山の位置が示されている.更に,久慈には「コハク(琥珀)出」と記されている.また,海田俊一(2017;地図,55(3),10-17)は赤水図の改版過程について論じ,その中で同図に鳴門の渦と那智の滝のイラストがあることを指摘した.なお,日光には「ケコンタキ(華厳滝)」の記入はあるがイラストはない.(2022.10.25追記)

 記(出版年順)

  • 長久保赤水顕彰会(2014)續 長久保赤水書簡集 現代語訳 茨城新聞社 B5判149 p.
  • 長久保赤水顕彰会(2016)長久保赤水書簡集 付 芻蕘談 現代語訳 茨城新聞社B5判169 p.
  • 長久保赤水顕彰会(2017)マンガ 長久保赤水の一生(原康隆作) 付 赤水先生為学入門抄・志学警 茨城新聞社B5判189 p.
  • 長久保赤水顕彰会(2017)マンガ 長久保赤水の生涯(黒澤貴子作)付 長久保赤水海防意見 現代語訳 茨城新聞社B5判213 p.
  • 長久保赤水顕彰会(2018)マンガ 長久保赤水物語(黒澤貴子・原康隆作) 茨城新聞社B6判274 p.
  • 長久保赤水顕彰会(2019)續續 長久保赤水書簡集 現代語訳 茨城新聞社 B5判193 p.
  • ときさき きよし画 長久保赤水顕彰会発行・編集(2020)りゅうのひかり(長久保赤水関係資料 国の重要文化財指定記念誌 赤井竜灯の絵本と解説)茨城新聞社 21x20.6cm 48+29 p.
  • 長久保赤水顕彰会(2021)道知るべ 續 長久保赤水の一生(マンガ 原ヤスタカ作)茨城新聞社B6判271 p.
  • 川口和彦著 長久保赤水顕彰会編集・発行(2021)長久保赤水の天文学(原寸大の赤水式星座早見盤つき)茨城新聞社 B5判205 p.
  • 川口和彦編著 長久保赤水顕彰会編集・発行(2021)長久保赤水と山本北山〜漢詩論をめぐって〜 茨城新聞社 B5判182 p.


※本原稿は,日本地質学会News,Vol.25,No.7(2022年7月号)にも掲載されています.